研究室にいる中国人留学生との会話に歯痒さを感じる事がある。
勤勉な彼らとは言葉の問題ですれ違う事はあまりない。むしろ
ココのリンクで書かれているように、日本語が苦手な自分の方が
間違いを指摘されるくらい。歯痒いのは、現在中国で起こっている
反日運動に対する疑問を投げかけたい衝動が沸き上がってはそれを
抑えるという事が何度も繰り返されるからである。今回の事態を
テレビやネットからの情報でのみとらえるんでは無く、実際中国人
の視点と話し合いながら理解したい欲求がある。しかし、「彼の対日
感情は悪化しているんではないだろうか?」、「この話題を振る事
は彼の気に障るのだろうか?」という疑問と、何より国や文化、
宗教の違いは時に言葉ではどうしようも出来ないことを何度も体感
していて、彼もその事を知っているから話題に出さないんだろうと
いう予測が気持ちを億劫にする。
でも考えてみると、今自分が中国にいたら警戒心を強くしてしまうのと
同じくして、日本にいる中国人は連日の批判的報道を観ている我々が
どのような思いを抱いているかを伺ってしまうというものだろう。
ここは日本である。自分たちから進んでその疑問を解こうとする姿勢
がどれだけ相手の気持ちを和らげるのだろうか。過去の事にとらわれ
未来が霞んでしまっては意味が無い。抑えている自分を感じた時こそ、
対話の重要性を感じるべきであった。
少し考えてみればすぐわかる事も話していて全く気づかなかった。
もちろん一概にこう言えてしまう程事は単純ではないけれど、
今度話した時には聞いてみよう。
その時までにきちんともう1度、背景を勉強しておかなければ。
>asahi.com : 「花に罪なし」 戦時中に日本から来た桜 武漢で人気
*写真は博多区・順心庵の桜